厚生省の出来た理由・変遷

「今日は何の日」の1月11日に関連して。

ポイント1
→「敵に塩をおくる」
→有名な言葉ですが、はたしてこれを気高い行いと捉えるか、愚行と捉えるかは、分かれるところだと思われます。

ポイント2
→昭和13年のこの日、健民健兵の推進の為に厚生省が設置された。
まずはウィキペディア
Go!
そして次にこちら
厚生白書
厚生白書にはこうあります。

「民の生を厚くすること」,すなわち「国民生活を豊かにすること」を意味している。

電子辞書をそのまま転記している「今日は何の日?」をそのまままるごと受け入れるわけにはいかないのです。
なぜなら、電子辞書にしろアナログ辞書にしろ、当然作者(筆者)が存在するからです。
第三の主体を経由した情報を、便宜的にスタンダードとして利用する媒体だと考える訳です。
なので、何気なく引っかかりを覚えた1月11日の「今日は何の日?」の歴史に関して、すこし検索してみました。
自分が何を疑問に思ったのか、
この記事の何が問題なのか、
それを明らかにする為に。


1938(昭和13)年1月11日;内務省から分離・発足
1947(昭和22)年9月1日;労働行政部門が労働省として分離
2001(平成13)年1月5日;中央省庁再編に伴い労働省と再統合し厚生労働省となる。

厚生省発足のきっかけとなった陸軍大臣寺内寿一クリック20世紀)の提唱とは。

まずは1938年
http://ja.wikipedia.org/wiki/1938
1937年
http://ja.wikipedia.org/wiki/1937
を見てみましょう。
1937年、1月21日に腹切り問答が記録されています。
軍部の独裁的な振る舞いを指摘する浜田国松代議士の発言に対し、寺内寿一氏は激怒した、とあります。記載された発言を見る限りは、寺内寿一氏の態度は政治家として感情に走り過ぎていると感じざるを得ません。
この割腹問答をきっかけに、1月23日、広田内閣は総辞職に追い込まれる結果になったとあります。
広田弘毅元首相の個人についての記載を見ると、廣田内閣の概要とのギャップに驚きます。
「戦争はしない」と明言した広田弘毅元首相は、文官として唯一A級戦犯として処刑された人物でもあるそうです。
廣田内閣当時、政治は軍部の物だったのだと思い知らされます。
そして2月2日、軍人である林銃十郎を首相として、内閣が成立します。ついに名実共に、陸軍が日本の政治を手中に収めました。
この林銃十郎内閣の総辞職(5月31日)に関連して、多少横道にそれますが興味深い記述がありました。
4月26日、ピカソの「ゲルニカ」で有名なゲルニカ空襲が起こります。戦火は猛烈な勢いで拡大し続けました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/第一次近衛内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/平沼内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/阿部内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/米内内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/第2次近衛内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/第3次近衛内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/東條内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/小磯内閣
http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木貫太郎内閣

小磯内閣当時の1944年8月10日、グアムで日本軍全滅とあります。
翌年1945(昭和20)年4月7日、鈴木貫太郎内閣成立、8月15日、玉音放送のあった日に総辞職(1945年
1885年から1945年の60年間で、45の内閣が組閣されましたが、
誕生した内閣総理大臣は代理2名を含めて33人でした。
一覧を見渡すと、権力のたらい回し構造が見えてきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/東久邇宮稔彦王
東久邇野宮稔彦王内閣。敗戦処理内閣として日本史上唯一の皇族内閣を組閣。1945年8月17日から同10月9日まで在任。

http://ja.wikipedia.org/wiki/内閣総理大臣
http://ja.wikipedia.org/wiki/内閣総理大臣の一覧



話を元に戻しましょう。
厚生省の初代大臣は木戸幸一(長州藩士の長男、陸軍大将の娘を細君に持つ)でした。
これらの事から考えても、電子辞書の記載は頷ける物です。
では私は何にひっかかりを覚えたのでしょう。
厚生省は今は厚生労働省となっており、またその存在意義はもはや戦前と同じでは無いはずです。


なんとなく、ひっかかりの中身が見えて来たように感じています。
個人的な感想と判断しましたので、その内容について詳しくは記記載しません。
ただ、2011年3月11日以降にメディアによって語られた、
「民主主義は思想に過ぎない」
という言葉を想起します。

思想は変容しても、その入れ物はまったく変わっていないという事実に愕然としました。
存在を決定付けるのは方向性でしょう。しかし、方向性を指揮するものは、思想を持つ人であり、要求を主張する人であり、決定権を持った人物です。
日本人をして「狂った歴史」と言わしめる時代に作られた構造を受け継ぎつつ、日本は変わったのだと主張しても、それはむなしく響きはしないでしょうか。

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