ホテル・ルワンダ

もしも、笑顔でおはようと挨拶を交わした隣人が、
数時間後に凶器を振りかざして襲いかかって来たら、
あなたならどうしますか?

もちろん、あってはならない事です。
しかし、それが現実に行われた事実があります。

「ホテル・ルワンダ」2004年制作

この映画は、事実に基づいた作品です。

以下詳細(ネタバレはなるべく避けます)

まずは、ルワンダという国について知っておく必要があるでしょう。
ウィキペディア
に記載があります。
簡易的にデータだけ引用させていただきます。


国名;ルワンダ共和国
独立;1962年7月1日(ベルギーより)
国の標語: Unity, Work, Patriotism
(日本語: 統一、労働、愛国心)
国歌;美しきルワンダ
公用語;ルワンダ語 (Kinyarwanda) 、
    フランス語、英語
首都 ;キガリ
面積 ;26,338km2(144位)
通貨 ;ルワンダ・フラン(RWF)



独立以前のルワンダは、ドイツ、その後はベルギーと、
ユーロ圏の支配下に置かれていました。
そして、1959年以降のベルギー軍政を経て、
ルワンダは独立し、共和制を樹立します。
それから35年後の1994年。
「ホテル・ルワンダ」の主題となる出来事が起こりました。
他国からの強制的な干渉が、
ルワンダ国内に争乱の火を灯したと言えるでしょう。

では、なぜ、世界はそれを止められなかったのでしょうか。
それを知るには、1994年の状況を知る必要があります。
平成6年でした。
何が起こっていたのでしょうか?
まずは検索結果から
  • 1994年の重大ニュース
  • 1994年[ザ・20世紀]
  • ウェブリオ辞書


  • とりあえず列挙しました。
    不十分ですね。
    まず、日本人として、どうしても最初に目に止まった部分が。
    9月~12月;自衛隊海外派遣
    ルワンダ難民支援の為との記載があります。
    派遣先はザイール。
    それに関連して、
    7月20日:村山首相が、衆議院本会議で、自衛隊合憲、日米安保堅持を明言。当時の米大統領はビル・クリントン氏。

    「ホテルルワンダ」の出来事は、
    主に4月6日からの100日間。
    ただし、紛争はとっくに起こっていたのです。
    武装組織が存在し、長い間激しく対立して来たのです。
  • ルワンダ虐殺詳細

  • ルワンダ紛争詳細
    100日目に紛争が終結したとして、7月15日。
    それから2ヶ月も経てからの自衛隊派遣でした。
    自衛隊海外派遣に関してはさらに思うところもありますが、
    それが避けられない事態だったのならば、
    2ヶ月間は長過ぎると、私は思います。

    多数派フツ族による虐殺事件があり、
    少数派ツチ族による虐殺事件があったにも関わらず、
    しかし、世界の国々は、これを止めませんでした。
    国連加盟国の、ルワンダに対する動きは積極的とは到底言えず、
    殊にアメリカの動きは明らかに後退する姿勢が伺えます。
    その一方で、アメリカはルワンダ愛国戦線に早くから接近をはかっていた、との記述もあります。
    また、前述の詳細に、国連司令官ダレール氏の発言が記載されています。
    世界は何を見ていたのでしょうか?

    1990~1995でデータベース検索をしてみました。
    データベース「世界と日本」
    東京大学東洋文化研究所
    田中明彦研究室

    ルワンダという単語は、
    12月01日にようやく現れます。
    何があったのか、などの表記はありません。
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